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大鵬幸喜さん*羽ばたけ高く その1

 元横綱 大鵬幸喜さん * 羽ばたけ高く

1998年6月、北海道新聞夕刊に10日間毎日連載されたです。

書籍化されているのかな?と思って探したのですが、無く、連載を私に送ってくださった方が、わざわざ道新の出版局に問い合わせて下さったのです。本当にありがたやぁ~、なのでが、書籍化される事も書籍化する予定も無いそうです!万が一あったとしても、連載全部ではない!と…。という事は、夕刊に載っただけ…。それでお蔵入り。えーっ、勿体無い!

図書館で新聞記事を読むしかないと言う事ですよね?しかも、何処の図書館にも道新が置いてあるわけではない!これは希少価値が増して参りました。長くなりますが、またお付き合いください。注意点としては、勝昭タンの連載の様に笑い所は全くありませんのであしからず。



(感想) ←いきなりですが
大横綱ですから、私は勝手に良い事ばかりを想像していたのですが、全く逆でした。大横綱だからこそ、苦労が人一倍多くて…。勝昭タンの連載を読んだ後に、この大鵬さんの連載を読んだせいか、あまりにも違う横綱像に軽く衝撃を受けました。




*1* 羽ばたけ高く * 家族との思い出*ほとんどない父親の記憶
1998/06/15 以下抜粋


冒頭いきなり、こんな言葉で始まります。
本当は、昔のことは話したくありません。力士生活は二十七年前に終わり、親方として新たに出発したわけですから。偉業を成し遂げたのをいいことに過去の遺産にあぐらをかいている人、よくいますよね。ああいうふうにはなりたくないんです。

1998年のインタビューなので、2007年の今から計算すると、「二十七年前」は36年前、1971年になります。その年の春場所で引退しました。

現役時代には話せなかったことを聞きいてみたいなぁ、とも思うのですが、大鵬さんには大鵬さんの思いがあるようです。「過去の遺産にあぐらをかかない」との信念をお持ちなのですから、聞くのは失礼。でも聞いてみたい…。連載を読み進めるとわかるのですが、凄く真面目で「シン」の強い方なのです。


母上と父上
大鵬さんの母上、(故)納谷キヨさんは、後志管内神恵内村の出身。お針子さん。20歳の頃、働く場を求めサハリンの敷香(ポロナイスク)に行きます。ロシア革命後サハリンに亡命してきた父上(故)ポリシコ・マリキャンさんと知り合い結婚。実は父上の消息は未だわからず、没日も母上の推測なのだそうです。
~追加~
この連載が載った1998年は、父上の消息はわからなかったようですが、その後色々進展があり、新しい連載にはその事が取り上げられています。また別の機会に紹介します。




入門まで
5人兄弟の末っ子の大鵬さん。男、男、女、女、大鵬さん。一番上のお姉さんとお兄さんは、小さい頃に亡くなられています。大鵬さんが3歳の時、父上は日本の憲兵に連れて行かれそれっきり。2番目のお兄さんは、家族を養う為に中学には行かず農家へ奉公。

1946年、大鵬さん6歳の時に母上が再婚。東京と札幌の大学に通う、義理の兄が2人増えます。義父の職業柄(中学教師)、道内を転々とする生活が始まります。毎年転校です。住むのはいつも学校の宿直室でした。1953年、大鵬さん13歳の時、母上離婚。

弟子屈高定時制に進み、昼は営林署でアルバイト。身長がすでに180センチの大鵬さん。1956年、16歳の時に、「川湯に納谷という背の高い子がいる」と、二所ノ関部屋に連絡が行き、入門が決まります。



(ポイント)
父上が連れて行かれてしまう前の生活について。
牧場を経営していて、家も大きかったようですが、記憶はほとんどありません。家の近くに広い川があって、小舟に乗って遊んでいたら流され、姉に助けてもらった覚えがあります。

この部分がこの連載&大鵬さんの性格のポイントの様な気がします。大鵬さんは、辛かった事や嫌な事など、どちらかと言うとマイナスな記憶を多くお持ちなのです。しかし、これら一般的にはマイナスな事を力に変える事が出来る方でもあるのです。






*2* 羽ばたけ高く * 道内各地を転々 * グラブ買うため納豆売り
1998/06/16 以下抜粋


1945年8月21日。終戦から一週間後のことです。サハリンから小笠原丸に乗って北海道にやって来ます。目的地(小樽のはずです)はまだ先なのですが、稚内で母上がこんな事を言い出します。
おふくろのキヨは「船はもういい」と、子供三人を連れて下船しました。

なんとその次の日、小笠原丸は増毛沖で潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没しました。
つまり、そのまま乗っていたら、全員死んでいたのです!

この事件の記事がありました。朝日
小笠原丸、第二新興丸、泰東丸の3船が攻撃されました。小笠原丸は増毛沖、泰東丸は小平沖で沈没。第二新興丸は大破しながらも応戦し、留萌港に避難。1708人もが犠牲となったのです。



母上の姉夫婦(大鵬さんの伯父&伯母)が後志管内岩内町に住んでいたので、山を越え徒歩で岩内町に行きます。
間借り部屋一間での貧しい生活が始まりました。おふくろは引き揚げの際、ミシンを持ってきていたので、すぐ町内の授産施設に働きに出ることができました。女性たちに洋裁を教えたそうです。

お針子さんである母上は、ミシンを引き上げる際に持ってきておられたとの事。ミシンを持って山を越えたという事ですよね?凄すぎます。そして直ぐ働きに出る…。神業です。



春の岩内はニシンが豊漁で、荷馬車がよく道路にニシンを落としていきました。荷台に積まれたニシンを棒きれで引っ掛けて取って家に持って帰ったこともありました。

兄上の奉公先にも行き、貰ったカボチャやイモを背負って帰ったりもしたり…。



1946年夏。母上が再婚します。
義父上が中学教師だった事から、道内を転々とする生活が始まります。

47年 岩内西小学校
48年 網走管内 訓子府小学校
49年 知床半島 岩尾小学校
50年 夕張市 若菜小学校
51年 釧路管内弟子屈町 川湯小学校

1984年に作られた、川湯相撲記念館にある大鵬さんの像は、川湯小学校にあったものだそうです。各々1年位しか居なかった地域でも、「大鵬 ○○」と地域名を入れ検索すると、出てくるんですよねぇ~。「大鵬が住んでいた事がある」や言い継がれている?逸話などが…。すごいなぁ~、と思いました。



この回のサブタイトル「グラブ買うため納豆売り」
納豆売りをしたのは夕張です。野球のグラブが欲しくてね。炭鉱の人たちは毎朝納豆を食べるので、朝三時ごろ起きて近くの納豆工場で納豆を仕入れ、それを「なっとー、なっとー」と言って、炭住街を売って歩くんです。

これだけしか書かれていませんでした。

岩尾別では、海から打ち上げられた魚が空中で瞬間冷凍され、凍った魚が次々と岸に飛んできて、拾っておかずにしたりして、苦労もされたようですが、それでも懐かしいそうです。

















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Secre

Re:滑稽本さん

滑稽本さん

こんばんは。

連載中、何故か皆さん感想をじきじきに送ってくださるの。どうしてだろう?(笑)



なっとーなっとー

北の富士さんいらい密かにずっと読んでいるワケだが。

おもろいなー。





ところで、「なっとーなっとー」ね(爆死

Re:TYHKさん

TYHKさん

こんばんは。はじめまして、ですよね?

ご指摘ありがとうございました。訂正させていただきました。

また何かお気づきの事がありましたら、教えてください。よろしくお願い致します。







Re:大鵬幸喜さん*羽ばたけ高く その1(02/06)

叔父、叔母でなく伯父、伯母では??。

余計な事ですが。
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「OMUSHO」は「OHSUMO」を逆から書いた文字列です。大相撲観戦記事を中心に更新しています。http://plaza.rakuten.co.jp/gacktoh/ のミラーサイトです。

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